短期攻略ファッション史・2・写真とファッション

ファッションデザインは、
政治家タイプの
ポール・ポワレと
ココ・シャネル。

エンジニアタイプの、
マドリーヌ・ヴィオネと、
クリストバル・バレンシアガ

この4人に集中していると言いました。

この4人で、絵画ならルネサンスからピカソまでくらいの、
それくらいのウエイトがあります。
それはなぜなのでしょうか。

その理由は服の製作者の知名度が十分に上がったのは、
ようやく19世紀終わりごろからだからです。
期間的に短いのです。

画家で考えましょう。
昔の画家は、例えば
「高名なミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の壁画」
などを実際に見学に行って、
絵を勉強しました。

その画家は当然、ミケランジェロの影響を受けます。
そんでもって、その画家の弟子も、
(師匠がミケランジェロの影響を受けていますから)
当然ミケランジェロの影響を受けます。

そうやって、名の知れた画家の作品は、
後世に影響を与え続けます。
絵が残り、名前が残っている限り、
影響は続きます。

しかし服は、絵のようには残りません。
実用品ですから、擦り切れてしまって、消えてなくなるのです。

古い服装を研究する人は、
当時の絵画を参照しますが、
画家が服の内部構造を理解できて描いているわけではありませんからね。
資料にはなりますが、あんまりあてにならないのです。

 

だからこそ、ファッションデザイナーなる職業の存在の基盤は、
写真にあるのです。
写真が発明されたのが19世紀前半、
誰でも使える道具になったのが、19世紀末、
Vogueの創刊が同じくらいです。

写真というかたちで、服のデザインが、服の流通以上の広がりで流通してゆく。
そしてようやく、ファッションデザイナーが知名度を持ち始めるのです。

映画という技術が確立したからこそ、映画監督や映画俳優という仕事が発生したように、
ファッションデザイナーと言う仕事が誕生したのは、写真という技術が根本になっています。
あくまでテクノロジーの上に乗っかった存在です。

もちろんそれ以前から服をデザインする人はいたわけですが、ただ服屋さんの責任者さん、という存在でしかなかったのです。
もちろん画家のような知名度のあるひとは一人も居ません。
そんなわけで、美術界や音楽界や文筆界に当たり前のように存在する、「時代を超えて影響を与える、受ける」ということが、この業界では、ほとんど無かったのです。

遅いですね。
服は太古から存在するのに、
服を立案する人が、現在のような存在になったのは、
つい最近のことなのですから。

私たちは、
ミケランジェロの名前を知っていますが、
同時代にイタリアで服を作っていた人の名前は知りません。

それはそれで、良いことでも悪いことでもないのですが、
写真技術の確立を背景として、
「俺はミケランジェロのような存在になってやる」
という野望を抱いた服屋さんが現れました。
それがポール・ポワレなのですが、
長くなりますので続きは次回に。

→Next Page