短期攻略ファッション史・10・サンローラン

少し前になくなったサンローランを取り上げます。
この人はわりと折衷系です。
エンジニアタイプのヴィオネ、バレンシアガ的要素もあり、

体からは離れたライン、体の曲線を強調せず、暗示する。
ということはつまり、サンローランはパターン(型紙)能力も大変高かったはずなのですが、
まだ死後間もないので、あまり逸話としては出てきていません。

代表的な仕事は、パンタロンとサファリルックです。

前者はシャネルの系譜ですね。女性解放系の服です。

後者はもちろん、ポールポワレの帝国主義です。
ご本人は人種差別の無い、立派な人だったようですが、サファリルックというのは言うまでも無く白人のアフリカ旅行アフリカ冒険の服でして、
サファリに実際住んでいる人々の服ではない。
ではなぜサファリルックが受けたのか考えた場合、やはり根底には帝国主義の残存があるだろうと思われるのです。

アフリカはアジアよりも、植民地待遇からの独立が遅れました。
そしてサンローランは、ディオールの後を継いだ人です。
ディオールはベトナムの帽子、サンローランはサファリルック、デザイナーと時間的配置と、政治事件の時間的配置は一致しています。

これまたくどいようですが、
だからサンローランがダメとは全く思っていません。
そうではなくて、
ファッションデザイナーというのは、
あくまで社会の中に存在している職業ですので、
その時、その時の社会事情の理解が、ファッションの理解にはどうしても必要なのです。
人々が大量破壊兵器を欲してる時代ですと、アインシュタインは天才と呼ばれますが、
彼が中世に生まれても、おそらく世間の注目は集めなかっただろうと。
だったらアインシュタインの理解の努力の70%くらいは、当時の世界の状況理解に裂かなきゃならないだろうと、
そういう主張を本稿ではしております。

バレンシアガのエンジニア的要素と、ポワレ・シャネル的な政治家的要素、
両方を併せ持つサンローランが帝王と呼ばれたのは、私には大変納得のゆく話です。

おそらく、洋服自体の根本的な発展の歴史は、バレンシアガで終わってしまい、
服およびファッションという意味での発展の歴史も、サンローランで終わったのだと思います。

以前書いたように、西洋人は頭が固い。
その頭の固い連中が、時代の流れによって世界中に進出するようになり、世界中の服を見て、それらに影響を受け、
悶絶しながらそれらの価値観を消化してゆく作業、それがファッションの歴史だったのです。

しかし第二次世界大戦くらいでほぼ、未開拓の土地、つまり西洋人の価値観の及んでいない地域が、地球上からなくなってしまいました。

収集した情報は、ヴィオネやバレンシアガのようなエンジニアが、(たとえとしての表現ですが)コンピューターに入力して、解析を終了してしまいました。

そしてファッションの夏は終わったのです。
これ以降も優れた人材は沢山輩出されていますが、それとは関係なく、夏という季節が終わったのです。

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