短期攻略ファッション史・11・三宅一生

日本人のデザイナーを取り上げます。
三宅一生さんです。
もちろん有名な方ですが、
「なぜ三宅さんが西洋であれほど高い評価を受けたか」
ご存知ない方も多いと思われます。
これは今まで述べてきたような、
政治家タイプのデザイナー(ポワレ・シャネル)
エンジニアタイプのデザイナー(ヴィオネ・バレンシアガ)
の4人の仕事を知らないと、理解できにくい点なのです。

西洋人は前述のように、
何が何でも体にぴっちりした服を着て、
なにがなんでも曲線を強調しなきゃいかんと思い込んでいました。

それは結局、コルセット拘束競争の様相を呈してしまい、限界にぶちあたり、
そしてヴィオネやバレンシアガが、その技術的問題を解決してゆきます。
それが20世紀服飾の発展の歴史でした。

そこに、そもそもぴっちりした服を着る伝統の無い人、
曲線を強調する必要性を感じていない人が乗り込んできて、
あっさり言ってしまいました。

「そんなの、必要ないでしょう」

服は体を覆うものであり、
要は人体を梱包さえすれば必要が足ります。
西洋人以外の人種は基本的にそのように考えていて、
特に農耕民族の服はそうです。
インドのサリーなんかが代表例ですが、
体に巻きつける一枚の布に過ぎません。

「そうですよ、これも服なんですよ」

と言われて、西洋人は後頭部をハンマーで殴られたようなショックを受けたのです。
結局、ヴィオネ、バレンシアガの努力も、肉体を表現する服としての文脈の中での努力だったのです。

それらを無駄な努力とは言いませんが、文脈から外れて客観的に見てみれば、より多くの選択肢が存在していました。
その選択肢に気が付いたその瞬間に、西洋人は自分達の服飾の価値観の特異性に気づき、その価値観を相対化するようになり、
西洋至上主義から強制的に脱却されるようになります。
帝国主義からも脱却せざるをえなくなります。
西洋人の、眼そのものを破壊するというか、変えるというか、そういう効能がある仕事なのです。

最初にご説明した、
コスプレ帝国主義者のポールポワレさんは、三宅さんによって完全に命脈を絶たれたのです。
ちなみに三宅さんは、
元来バレンシアガにあこがれて渡欧した方で、ヴィオネの研究書の監修者でもあります。
エンジニアタイプのデザイナーさんです。

特に女性の皆さんには、知名度の割りに比較的受けの悪い方ですし、
渡辺貞夫と区別のつかない方も多そうですが、
そのような巨大な意味を持つ活動をされたかただということを、
是非記憶に留めておいてくださればと思います。

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