短期攻略ファッション史・8・服の建築家2

ヴィオネさんに引き続き、
バレンシアガさんです。

バレンシアガさんも、服の建築家と呼ばれています。
歴史上の優れたパタンナー(型紙を作る人)を挙げるとすると、
まず間違いなくヴィオネとバレンシアガのうちどちらかが一位、
どちらかが二位になる、そういう人です。

この人を最も端的に表現しているのは、
ココ・シャネルの賛辞、「バレンシアガだけが本当のクチュリエだ」
という言葉です。

「彼だけが、デザインをし、型紙を作り、縫い上げるという、
全ての工程を一人で出来る。
彼だけが本当のクチュリエだ」

実際シャネルさんは、縫いは名人だったようで、
デザインももちろん素晴らしいのですが、
前述のように型紙能力が不足していました。

そういう分類では、ヴィオネも全て一人で出来るひとだったのですが、なにせシャネルの目の上のたんこぶ的存在だったので、別に賛辞は送っていません。
ヴィオネはシャネルよりだいぶ年上ですし、シャネルのことを「あの帽子屋」と馬鹿にしていたようなので、シャネルとしても誉めるわけにはゆかない。

これまでヴィオネの説明のために、
西洋人の服飾観というか身体観を色々説明してきました。
バレンシアガも歴史に残る人物だけに、
服飾に画期的な貢献をしました。

それは、「そもそも、服をぴっちりつくらなきゃいいのだ」ということです。画像ご覧下さい。

生地が身体から離れています。なんとなく中の体のラインを想像はさせますが、ぴっちりとは作られていません。
これによって、やせた人でも、太った人でも、あるいは姿勢がわるくなったおばあさんでも、 体型を気にせず服を着ることが出来ます。

バレンシアガの服のデザイン、好き嫌いはあるかと思いますが、
それでもデザイン、生地選択、型紙などの総合的な意味合いで、
服飾の歴史の中で、バレンシアガだけが唯一の、そして残念ながら最初で最後の、
本物の芸術家であったと言えます。

全てが一貫しており、自分自身でない要素がなにひとつ無い。
まさに「別格」ではあります。

バレンシアガの魅力を紹介するページではありませんので、
別のページをご紹介しておきます。
私はこのページの作者と面識ありませんが。

http://www10.plala.or.jp/dorimi/Blenc/baren.html

文中「カッティング」とか「裁断」とか書かれている部分が、
バレンシアガのパターン(型紙)能力を表現していますので、そのつもりでお読みください。

そんなバレンシアガ自身の作品の評価は別にして、
西洋の服飾の歴史の中での彼の意義をここで要約しますと、

1)元来西洋人は、からだにぴっちりとした服、曲線の強調が好きであった
2)それはコルセットのような、体を強く拘束するしくみが必要だった
3)身体的にあまりにも不自然な努力だったので、拘束なしの服を作り始めた(ポワレ、ヴィオネ)
4)拘束なしで出来るだけ曲線を表現できるように、服の作り方が変わっていった(ヴィオネ)
5)それでもそれらの服は、肉体をありのままに表現するので、体型の優れた人しか楽しめなかった
6)体から離れた服を作ることによって、体型が万全でなくとも美しくみえる服が開発された(バレンシアガ)
となります。

これらの開発の歴史はそもそも、西洋人が肌を見せたくなく、かつ体の曲線を表現したい人種だから生まれてきたことであって、東洋人の私から見れば、かなり無駄な試行錯誤です。しかし西洋人というものは、頭が固いのです。逆に言えば日本人の頭が柔らかすぎる。

昨日まで「尊皇攘夷」と叫んでいた人間が、今日は「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」 と言い出す。
昨日まで「鬼畜米英、大日本帝国万歳」と言っていた人間が、今日は「軍国主義反対、民主主義万歳」と言う。
一夜にして価値観をころりと180度転換して、なんとも思わないのが我々日本人です。

西洋人は徹底的に自分の考えにこだわって、なんでもかんでも哲学化してしまう。哲学化した以上、その考えは簡単には変更不能になってしまう。偉いといえばえらいのですが、どんくさいと言えなくもないですね。

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