短期攻略ファッション史・9・ディオール

女性誌によく登場するデザイナーの名前、それらが有名なのは良く知っているが、どうして有名なのか、どこが偉かったのか、雑誌をいくら読んでもさっぱりわからないと思います。

この欄で4名のデザイナーを紹介しました。
政治家タイプのデザイナー2人、
コスプレ帝国主義者のポワレ
宝石ニクソンのシャネル

エンジニアタイプのデザイナー2人
パタンナーのヴィオネとバレンシアガ

これら4名の中身を把握したら、あら不思議、それ以外のデザイナーの仕事の内容も、かつまた有名な理由も、
とんと腑に落ちるようになるのです。だからこの4人がファッション史攻略のツボなのです。
例えば、ディオールから見て行きましょうか。

この写真、服好きの方なら必ず覚えておいて下さい。
ファッションの歴史の中でも、最も有名な写真です。
クリスチャン・ディオールの
「ニュールック」という服の写真です。
発表当時爆発的な人気を呼んだデザインです。

発表されたのは1947年。
「戦争中、女性達は耐乏生活をしいられていた。
戦後発表されたこの大きなスカートを持ったドレスは、
平和で、ファッションを楽しめる時代が来たというメッセージ性から好評を博し」
うんぬんというのが、よくある説明です。
実際問題、戦争中はこんなスカートは履けなかったわけで、
間違った説明ではないと思いますが、
いままで説明してきたファッションの歴史を理解されている方々には、
別の視点があるでしょう。

そう、気になるのは帽子です。
どう見てもベトナムの帽子ですね。

ベトナムというとベトナム戦争、アメリカの勢力範囲だった、とお思いかもしれませんが、
ベトナムは昔、フランスの植民地だったのです。
第二次世界大戦前は、
仏領インドシナ、略して仏印と言われていました。
そこに攻め込んだのが旧日本軍です。
結局日本軍は負けて、再びフランスが取って代わってベトナムの支配者になった、
だいたいそのころに発表されたのが、この「ニュールック」です。

つまりこれは、ポールポワレの系譜を継ぐ、
コスプレ帝国主義でして、
これを見たフランス人達は、
「ベトナムの支配権を取り戻したぞ、再び昔のような世界帝国をつくってやろう」
という感慨で熱狂した、はずです。
実際にはこの時点から既にベトナムにおける共産主義勢力、
つまり中国の勢力が非常に強くなっていて、
結局はフランスは植民地を失ってしまうのですが、
ともかくもこのニュールックは、
フランスが世界帝国として強大であったときの、夢の名残のような、
そんな服なのです。
くどいようですが、だからディオールはだめだとか、そういうことは思っていません。
ディオールは上品で趣味の良い服をデザインする才能のあった人ですが、
系譜としてはポワレにつらなる人物である、ただそれだけのことを表現しただけです。

この人自身は裁縫もパターン(型紙)も出来ません。
もともと美術志向で、生活のためにドレスのデザインラフを描いていたのが、
服飾とのかかわりあいの始まりです。

しかし仕上がったものを見ると、
「デザイナーとパタンナーと縫い子が1週間同じ部屋に缶詰になって、ドレスを1着作ったのではないか?」と思われるほど、
それほどしっかり作りこんでいます。

バレンシアガやヴィオネのように、 作る前のイメージを、型紙だけで一発で完璧に作り上げている、という雰囲気ではありませんが、
細部にいたるまで丁寧に、執念をもって作りこんでおり、当時のフランスの服飾業界の人材の豊富さを伺わせるに十分な内容です

→Next Page