コラム「東京のピンク」

写真のピンクの生地は、思うような色が出せないとデザイナーが
「江戸と伊勢の繋がるところの色」など鬱々と言いながら延々と染めていたものです。

彼女の祖母は三河の呉服屋、祖父は伊勢出身なのですが、
いわく、伊勢の着物文化は東京では重要なのだそうで。

昔江戸には「伊勢屋、稲荷に犬のなんとか」というフレーズがあったくらいで、
伊勢出身の商人が大挙江戸に襲来していまして、
そういえば代表的な呉服屋の三井さんも、伊勢松坂が本拠地です。

東海道中膝栗毛もお伊勢参りの話で、
江戸と伊勢は、遠いようで近い存在ですね。

なんで伊勢がそんなに繁盛したのか、
日本史に詳しい向きがなんと言われるかしりませんが、
私は山田羽書(やまだはがき)の存在だと思っています。
山田羽書は1610年ころから伊勢で発行されていた、日本最古の紙幣で、
(アベノミクスで景気が上向くのと同様)
マネーが増えれば好景気になります。

好景気になった伊勢地方の商品が、経営拡大して大量に江戸に入り、
三井もそのうちの一つで、江戸の服飾文化を支えました。
そういえば徳川の前の北条も、
初代の北条早雲も旧名「伊勢新九朗」というくらいで、
距離が遠いから文化も遠いわけではないようです。

「明治時代の着物の紅ピンクの次のピンク色」とも言っていました。

何しろこのピンクの色が出たのは、やり続けて挙げ句に失敗をした
直後のことで、偶然だった、運がよかった、とのことです。