短期攻略ファッション史・6・西洋人の服飾観

久々の更新になりました。
忙しくて更新できなかったのもありますが、
以下の画像を掲載するかどうか悩んでいました。
実はまだ悩んでいます。ドレスショップにはあまりにもふさわしくない画像なのです。

ですのでその前に歴史的な背景を説明いたしますと、
だいたい南方農耕民族の服はわりとからだにゆったりした構造で、
北方騎馬遊牧民族の服はからだにぴっちりした服です。
チャイナドレスは体にぴっちりしていますが、
これは清朝の支配者階級、当時満州に居住していた、女真族という騎馬民族の服がチャイナドレスと呼ばれている、というだけの話で、
漢民族の伝統服は、基本だらりとしています。

西洋人もギリシャ、ローマまでは農耕系のゆったりした服でしたが、
ゲルマン民族が大挙襲来してから、基本ぴっちり系の服になりました。

さてそれで、ぴっちり系の服の民族は、「肌を人前にさらしてはいけない」という倫理道徳がなぜか成立するのです。
逆にゆったり系民族は、わりとそこらへんルーズです。今の私たちの感覚では、西洋人のほうが露出度が高いのですが、
幕末日本に来た西洋人の日記など読むと、当時は違ったようです。

「~私たちが街中を通り過ぎると、異人が来たといって日本人が騒ぎ出し、
銭湯に入っていたうら若き女性が、裸のまま道端に飛び出してきて、
口をぽかんと開けたまま、珍しそうに私たちを眺めていた」

とかなんとか書いた日記が残っています。

実際、地方出身50代の私の子供時代には、夏場になると上半身裸のお婆さんや、
田んぼにお尻を突き出しているお婆さんが(つまり、少しでも肥料にしようということです)
ごくごく普通に存在していたのでございます。

と、ここまで書いて、問題の画像です。

西洋人の服飾観はつまり、こういうものです。
なんと馬鹿げたと、女性の皆様はお笑いになると思いますが、とにかくこれが連中の発想の基本にある以上、どうしようもありません。

絶対に素肌は見せない、それでいて可能な限りにセクシーに、その2点が至上命題にして最優先課題なのであるから、少々コミカルになるのは、まあ大目に見ようじゃないか、という感じですね。

こんな格好してまで女性の目を引きたいならば、フンドシでもすればよいのに、と思うあなたはつまり、肌の露出には寛容で、セクシーさはさほど要求しない農耕民族の末裔というわけです。

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