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リストランテASO

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トマム 水の教会

サレジオ教会

クラスカ

サンス・エ・サヴール

プレタライン

プレタライン・ウェディングドレス。それぞれの写真集にリンクしています。

プレタライン・カラードレス。それぞれの写真集にリンクしています。

 

新嘗祭

昨日は新嘗祭、道長がうたを詠んで1000年目の満月の日で、お式をされた花嫁様、ご結納をされたご新婦さまもいらして、東京オリンピックに続いて大阪万博のニュースも入ってきた、とても晴れの日だった気がします。

百日紅

百日紅

英名:Crape myrtle。

様々な素材と色合いのピンクのレースモチーフを重ねておつくりした土台。フィッティングを重ねて花々を重ねてゆく内に段々表情が変わってゆきました

百日紅のピンクが主役の色でした。

フランス製のケミカルレースとスイス製のコットンケミカルンレースは、濃いピンク紅色に染めてアクセントに。

仏製リヴァーレースの一部は水のりで加工して、胸元に百日紅の花が空に向かって咲き上がるように、木に咲く花の葉と枝の流れるように背中に刺繍をしました。

パールグレーやパープルを紅色に加えながら、グラデーションで様々なピンク色をつくって染めたスカート。内側に濃い百日紅色のレース刺繍を隠し透かせました。

お式後はオペラ鑑賞に着てゆけるようなドレスに、スカート丈をカットしてリフォームしてゆきます。アンティークなグレーの素材刺繍を見頃に施して、花模様に陰をお付けしてゆくかもしれません。

 

コラム「数値計算能力」

ドレスに限らずなんでも、表面の装飾もそれなりに大事ですが、
表に見えない内側の構造はもっと大事です。
つまり、一番大事なことは大抵隠されています。

トヨタ自動車の車のデザインに好き嫌いはあるかと思いますが、
(私もハイセンスとは思いません)
エンジン、バッテリー、モーターなどの駆動機関の研究は、
世界一なのです。だから今のトヨタがある。

ドレスは車ほどは、大事なことは隠されていません。
ですが似たようなことはあります。

もっとも有名なドレスデザイナーは、ココ・シャネルですが、
彼女は車で言えばエンジンの研究、
服屋の場合はパターン(型紙)技術は、たいしたことありません。
でも、すばらしい服です。
たとえばこちら

楽しいドレスですね。でも実は、かなりの素人仕事なのです。服製造やっているとわかります。なんとなく全体がゆがんでいる。裾のラインのコントロールが不十分な感じがある。間違いなく目を引くドレスではありますが。

パターン(型紙)技術がもっとも高かったのは、
マドレーヌ・ヴィオネという人です。

たとえばこちら

体にすっと吸い付くようなドレスです。縫いの量は少なく、実は使用生地量もシャネルより大幅に少ないのですが、ドレッシーな雰囲気を持っています。もっとも目立つのはシャネルのほうですね。

両者の差は、数値計算能力です。

というと「私は数学大嫌い」と怯えられそうなのですが、日本女性の数値計算能力実は歴史的に高いのです。戦国時代に日本に来たイエズス会の伝道師が、驚きを持って書いているのが、
「なんと、日本女性は計算ができる。おつりの計算なんか男性より速い」
ということです。

当時のイエズス会といえば、今日のグーグルのような情報産業でして、世界中の情報を持っています。本国スペインでは女性はほとんど計算できない、ほかのヨーロッパ人でも女性は普通は計算できない、イスラムの女性も、インドの女性も、中国の女性も計算できない、日本女性がなぜか計算能力を持っている、下手すれば男性より早い。ようするに全体の水準が高すぎるのと、苦手を苦にしすぎるまじめな性格で、数学嫌う人が多いだけです。

だから日本のドレスは最終的に、シャネルの華やかさとヴィオネの計算能力を統合するものができるはずで、そちらに向かって一応私たちも努力しているつもりです。

短期攻略・ファッション史・7・服の建築家1

コラム「葛飾応為」

レンブラントの絵画の修復が話題になっています。
(レンブラント・ファン・レイン 「夜警」)
レンブラントの絵はコントラストが強く、暗闇から浮かび上がるような雰囲気が特徴です。
(レオナルド・ダ・ビンチ 「洗礼者ヨハネ」)
レンブラントに限らず、レオナルド、カラバッジョもそうですから、
これは西洋特有の文化ですね。今での西洋の映画はこういう照明の当て方が好きです。
ということをいち早く気づいた日本画家が居ました。
西洋絵画の良いところはコントラストだ、
早速日本に取り入れよう。
気づいたひとは葛飾応為、葛飾北斎の娘、つまり女流画家です。
日本女性は普通に江戸時代から美術活動していたのですね。
(葛飾応為 「吉原格子先之図(こうしさきのず)」)
北斎は天才ですし、西洋絵画の研究も熱心ですが、
コントラストの表現に関しては、はっきり娘の応為が数段上です。
(葛飾応為 「春夜美人図」)
西洋文化の受容は明治以降と考えられがちですが、
科学技術同様、美術でも昔からよく研究されていたのですね。
それを女性がやったというのは、凄いことです。
もちろん西洋も西洋で日本絵画を勉強していました。
たとえばゴッホのこの絵は
(ゴッホ 「梅の開花」
広重の模写ですね
(安藤広重 「亀戸梅屋舗(うめやしき)」)
昨日デザイナーが、伊藤若冲の梅の花と
ゴッホの花咲くアーモンドの絵も、似ていると言っていました。
若冲は浮世絵、つまり版画ではなく普通の絵なので、
たくさんプリントするわけではありません。
現物がフランスに輸入されたとは考えにくいですが、
模写が渡ってゴッホが見たのかもしれません。
文化というのはこうやって世界を行ったりきたりするもので、
葛飾応為やゴッホは、それをいち早く研究できる感受性を持っていたようです。

 

コラム「マリー・アントワネットの宝石」後編

「リラックスしたスタイルで民衆に接する」と書きましたが、

実は彼女はプチ・トリアノン宮でそういうことをやり始めていました。
リラックスした服装を着ていますが、これが後年のエンパイアドレスの先駆になっています。

後年の「レカミエ夫人」のようなエンパイアラインは、普通に考えればイスラム風衣装でして、


イスラム世界と西洋世界の架け橋を長年やってきたハプスブルグ家の娘、マリー・アントワネットが、イスラム風衣装を始めるのは、理にかなっています。これは後年ポワレやシャネルがやったことでして、本当の先駆者はアントワネットなのですね。

短期攻略ファッション史・3・ポワレ~コスプレ帝国主義者

これをもっと大々的にできれば、彼女は新しい時代のリーダーになれていたのかもしれません。でも実行力が決定的に不足していました。客とも会わず引きこもっていました。それでは新しいスタイルを確立しても、意味がありません。

ベルサイユの衣装、スタイルをまるごと変えるような大変革をし、貴族にもそれを要請していたらどうだったでしょう。もし優秀なブレーンでもついていれば成功して王家は存続、フランスは今頃世界でも段違いの文化大国だったでしょう。

ほんの20年前にはまだフランスは世界の文化の中心でした。
今でも文化の香りは馥郁たるものがありますが、でも昔に比べれば地位が落ちました。王家の消滅から徐々に。

コラム「マリー・アントワネットの宝石」前編

マリー・アントワネットの秘蔵の宝石が200年ぶりに公開されたそうです。
可愛いとデザイナーが騒いでおりました。

マリー・アントワネットは、首飾り事件などで無駄遣いが有名になってしまいました。しかし「王妃が高価な宝石を買って贅沢したから、民衆は生活が苦しかった」などというのは、完全に間違いです。国家財政の規模に比べれば、宝石なんぞはいくら買っても誤差の範囲内です。

ブルボン王朝は、先々代のルイ14世の後半から国家財政としては破綻寸前でした。

次のルイ15世の時に「ジョン・ロー」という、稀代の詐欺師にして史上最大の経済学者、あるいは史上最大の詐欺師にして稀代の経済学者かもしれませんが、どっちでもよいです、その人が大規模な財政離れ業を演じまして、「ミシシッピー会社」というのを立ち上げて、一時期うまくいきました。しかし最後は結局失敗しまして、金の切れ目が縁の切れ目、というわけでその時点でブルボン王朝の命運は終わっていました。その後のルイ16世夫妻の責任は、さほどないのです。

江戸幕府が倒れて明治政府ができたのは、ペリー来航のように西洋列強の軍事圧力が高まり、強力な中央政府をつくる必要が差し迫ったからです。フランスも同じでして、絶対君主といっても統治力が弱かった。国民をひとつにまとめるような政治力ではなかった。

統治力の不足を意識しているルイ14世は、たとえばベルサイユ宮殿をつくって、舞踏会三昧をして、王の力を誇示して、人々の気持ちを自分にひきつけようとした(西洋の王様は多かれ少なかれこういうプレゼン努力が欠かせない存在です。日本の天皇、将軍に比べると生存競争ハードなのです)。

その結果王家の財政が破綻寸前になったのですから、無駄な努力だったのですが、マリー・アントワネットの浪費は14世の努力を踏襲しただけで、彼女の責任ではないです。
「今はこのやり方ではだめだ、もっと新しい事を考えないと」と思えなかったのはそれは彼女の責任ですが。

では「新しい事」とはなにか。

たとえば後年シャネルがしたように、
「価値ある宝石をつけたからといって、それで女が豊かになるわけではない」
と宣言して、
リラックスしたスタイルで民衆に接する、とかすればよかったかもしれません。

短期攻略ファッション史・4・シャネル~宝石ニクソン

(続く)

短期攻略ファッション史・13・終わりに

以上12回にわたって、ファッションの歴史のうんちく、といいますか、
ファッションの見方を披瀝させていただきました。
お読みいただきありがとうございました。

 

元来ファッションは、見て着て楽しめればそれでよいものです。
少なくとも私達日本人にとってはそうです。
しかし西洋人はどうも、哲学的といいますか、思想的といいますか、
あれこれ理屈をつけて考えたがる。
その理屈につきあう必要は無いのですが、
なにしろ「洋服」というくらいで、西洋の人々のファッションがそのまま世界標準になっているので、
問題はややこしくなるのです。

これが例えばアニメのような、日本人が作ってきたものであるならば、
私が今まで述べてきたような知識は必要ないのです。
実際、オタク系の人々は、かなり鋭いことは言いますが、小難しいことは一切言わない。
通常の日本語の範囲内で、コンテンツの全てを表現できているのです。

しかし西洋人は、小難しいことを言わなきゃ気がすまないというか、小難しいことから逃れられないと言うか、そういう性質があります。

これが日本人でしたら、小難しい理屈の変わりに、「道」にするんです。
花器にお花を生けることを、ご大層に「華道」と名づけて、師範制度をつくって、権威をつけてありがたがる。
茶道、剣道、香道、なんでもかんでも道になります。

それと同じように西洋人は、むやみなたらに哲学思想をひっつけて、その思想をありがたがる。
自然に、虚心に愉しむということが、人間なかなか出来ないのです。
個人個人では出来ても、どうしても社会全体で考えると、イデオロギーですとか、権威付けとかが付着してきます。

「私はそれから自由になる」と宣言するのは個人の勝手ですが、
実際的に足かせから自由になるためには、まずもって足かせのサイズ、位置、形状、材質および合鍵の所在地の把握等々が先決問題でして、本稿ではそれらを不完全ながらも明らかにした、つもりです。

 

現在ファッションは冬の時代です。
なぜ冬かというと、文化の移り変わりは本質的には、
大きな政治の変動をエネルギーとするものだからです。
19世紀西洋人が世界を植民地化した、そのことが、
現在の我々の着ている服を決定する根本的な原因です。

今後中国、インド、イスラムが台頭してゆきます。
中国は文化大革命(という運動が昔ありました)によって、
自国文化をかなり傷めてしまいました。
ですから新しい文化というには少々厳しいかもしれません。

しかしインドの服飾文化は依然巨大なポテンシャルを秘めています。
イスラムのドレスは、現在すでに我々の眼に触れるようになってきています。

彼らの台頭により、ファッションの歴史は再び動き出します。
アメリカ人が「インド人になりたい」と願うほど、
それほど両者の経済力が逆転してしまえば、又違う歴史を書かなきゃいけなくなると思います。
それはおそらく、当分先の話なのでしょうけれど。

短期攻略ファッション史・12・川久保玲

三宅さんによって、
西洋人の服飾観は崩壊させれらました。
ところがさらに、東洋人が乗り込んできて崩壊を押しすすめます。

「グラマラスな肉体も、あくまで相対的な価値観ですよ」

元来洋服は、マッチョ主義者の西洋人の服として発展してきました。
マッチョが至上価値→
ボンキューボンの曲線を強調→
だからパターン(型紙)が重要という流れです。

だいたいヨーロッパは、北にありすぎて穀物があまり実らない。
中世ドイツの麦の収穫率なんか3倍です。一粒蒔いて三粒しか収穫出来ない。
アジアで栽培されていたイネ、お米は200倍以上あります。一粒育てて200粒収穫できる。
それに比べればほぼ収穫ナシと言っていいくらいの量です。
だから穀物はほとんど食べられない。
豊かだから肉しか食べないというよりも、穀物栽培が出来ないから肉ばかり食べる、それが昔のヨーロッパの実態です。
だから昔のヨーロッパは、面積のわりに人口が少ないのです。

肉ばかり食べていれば、当然体はマッチョになります。
マッチョな肉体を誇示する服が発達するのは当たり前です。
はじめにマッチョな肉体があって、それを表現するために、型紙や、生地や、デザインが発達する。

そのマッチョ肉体→マッチョ肉体用の服という西洋人の脳内にできた自動化された思考回路に、
川久保さんは穴を開けました。具体的活動としては、服に穴を開けたのです。そのまんまですね。

そうしたら穴からガスが漏れた。
マッチョ至上主義、
マッチョ至上主義に支えられたファッション観
マッチョ至上主義を前提にしたデザイン
それら全てが、シューっという音と共に漏れてしまって、
しぼんでしまって、残ったのは、価値観の無い世界、「こうあらねばならない」という前提の無い肉体でした。

三宅さんが、服の作り方という外側から行った仕事を、
川久保さんは、内側から、人間の肉体に関する価値観から、
おこなっていったのです。

思い起こせば、
ヴィオネは、体にぴっちりした服を作っていましたが、
それは体の曲線を外から見えるようにするためです。
そのためにヴィオネは、型紙技術の限りを尽くした。
バレンシアガは、ぴっちりとした服ではありませんが、
体の曲線を暗示するように服を作っていました。
デザイン、型紙、素材、裁縫、全ての条件を整えて彼はそれを実現しました。
そういうエンジニアタイプの仕事の、前提の前提になる、
「マッチョな肉体が良いのだ」という価値観全体を、
川久保さんは壊したのです。

ちなみに川久保さんは、元来哲学を学んだ人で、
服飾のトレーニングは受けていないはずです。
ポワレ・シャネルのような、政治家タイプのデザイナーさんです。
彼女が、エンジニアタイプのヴィオネ・バレンシアガの存在意義をなくしてしまう。

くちなし

前回三宅一生さんのところでご説明しました。
政治家タイプのポワレの命脈を、エンジニアタイプの三宅さんが絶つ。
それと逆といいますか、同じといいますか、大変興味深い流れですね。

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短期攻略ファッション史・11・三宅一生

日本人のデザイナーを取り上げます。
三宅一生さんです。
もちろん有名な方ですが、
「なぜ三宅さんが西洋であれほど高い評価を受けたか」
ご存知ない方も多いと思われます。
これは今まで述べてきたような、
政治家タイプのデザイナー(ポワレ・シャネル)
エンジニアタイプのデザイナー(ヴィオネ・バレンシアガ)
の4人の仕事を知らないと、理解できにくい点なのです。

西洋人は前述のように、
何が何でも体にぴっちりした服を着て、
なにがなんでも曲線を強調しなきゃいかんと思い込んでいました。

それは結局、コルセット拘束競争の様相を呈してしまい、限界にぶちあたり、
そしてヴィオネやバレンシアガが、その技術的問題を解決してゆきます。
それが20世紀服飾の発展の歴史でした。

そこに、そもそもぴっちりした服を着る伝統の無い人、
曲線を強調する必要性を感じていない人が乗り込んできて、
あっさり言ってしまいました。

「そんなの、必要ないでしょう」

服は体を覆うものであり、
要は人体を梱包さえすれば必要が足ります。
西洋人以外の人種は基本的にそのように考えていて、
特に農耕民族の服はそうです。
インドのサリーなんかが代表例ですが、
体に巻きつける一枚の布に過ぎません。

「そうですよ、これも服なんですよ」

と言われて、西洋人は後頭部をハンマーで殴られたようなショックを受けたのです。
結局、ヴィオネ、バレンシアガの努力も、肉体を表現する服としての文脈の中での努力だったのです。

それらを無駄な努力とは言いませんが、文脈から外れて客観的に見てみれば、より多くの選択肢が存在していました。
その選択肢に気が付いたその瞬間に、西洋人は自分達の服飾の価値観の特異性に気づき、その価値観を相対化するようになり、
西洋至上主義から強制的に脱却されるようになります。
帝国主義からも脱却せざるをえなくなります。
西洋人の、眼そのものを破壊するというか、変えるというか、そういう効能がある仕事なのです。

最初にご説明した、
コスプレ帝国主義者のポールポワレさんは、三宅さんによって完全に命脈を絶たれたのです。
ちなみに三宅さんは、
元来バレンシアガにあこがれて渡欧した方で、ヴィオネの研究書の監修者でもあります。
エンジニアタイプのデザイナーさんです。

特に女性の皆さんには、知名度の割りに比較的受けの悪い方ですし、
渡辺貞夫と区別のつかない方も多そうですが、
そのような巨大な意味を持つ活動をされたかただということを、
是非記憶に留めておいてくださればと思います。

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短期攻略ファッション史・10・サンローラン

少し前になくなったサンローランを取り上げます。
この人はわりと折衷系です。
エンジニアタイプのヴィオネ、バレンシアガ的要素もあり、

体からは離れたライン、体の曲線を強調せず、暗示する。
ということはつまり、サンローランはパターン(型紙)能力も大変高かったはずなのですが、
まだ死後間もないので、あまり逸話としては出てきていません。

代表的な仕事は、パンタロンとサファリルックです。

前者はシャネルの系譜ですね。女性解放系の服です。

後者はもちろん、ポールポワレの帝国主義です。
ご本人は人種差別の無い、立派な人だったようですが、サファリルックというのは言うまでも無く白人のアフリカ旅行アフリカ冒険の服でして、
サファリに実際住んでいる人々の服ではない。
ではなぜサファリルックが受けたのか考えた場合、やはり根底には帝国主義の残存があるだろうと思われるのです。

アフリカはアジアよりも、植民地待遇からの独立が遅れました。
そしてサンローランは、ディオールの後を継いだ人です。
ディオールはベトナムの帽子、サンローランはサファリルック、デザイナーと時間的配置と、政治事件の時間的配置は一致しています。

これまたくどいようですが、
だからサンローランがダメとは全く思っていません。
そうではなくて、
ファッションデザイナーというのは、
あくまで社会の中に存在している職業ですので、
その時、その時の社会事情の理解が、ファッションの理解にはどうしても必要なのです。
人々が大量破壊兵器を欲してる時代ですと、アインシュタインは天才と呼ばれますが、
彼が中世に生まれても、おそらく世間の注目は集めなかっただろうと。
だったらアインシュタインの理解の努力の70%くらいは、当時の世界の状況理解に裂かなきゃならないだろうと、
そういう主張を本稿ではしております。

バレンシアガのエンジニア的要素と、ポワレ・シャネル的な政治家的要素、
両方を併せ持つサンローランが帝王と呼ばれたのは、私には大変納得のゆく話です。

おそらく、洋服自体の根本的な発展の歴史は、バレンシアガで終わってしまい、
服およびファッションという意味での発展の歴史も、サンローランで終わったのだと思います。

以前書いたように、西洋人は頭が固い。
その頭の固い連中が、時代の流れによって世界中に進出するようになり、世界中の服を見て、それらに影響を受け、
悶絶しながらそれらの価値観を消化してゆく作業、それがファッションの歴史だったのです。

しかし第二次世界大戦くらいでほぼ、未開拓の土地、つまり西洋人の価値観の及んでいない地域が、地球上からなくなってしまいました。

収集した情報は、ヴィオネやバレンシアガのようなエンジニアが、(たとえとしての表現ですが)コンピューターに入力して、解析を終了してしまいました。

そしてファッションの夏は終わったのです。
これ以降も優れた人材は沢山輩出されていますが、それとは関係なく、夏という季節が終わったのです。

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短期攻略ファッション史・9・ディオール

女性誌によく登場するデザイナーの名前、それらが有名なのは良く知っているが、どうして有名なのか、どこが偉かったのか、雑誌をいくら読んでもさっぱりわからないと思います。

この欄で4名のデザイナーを紹介しました。
政治家タイプのデザイナー2人、
コスプレ帝国主義者のポワレ
宝石ニクソンのシャネル

エンジニアタイプのデザイナー2人
パタンナーのヴィオネとバレンシアガ

これら4名の中身を把握したら、あら不思議、それ以外のデザイナーの仕事の内容も、かつまた有名な理由も、
とんと腑に落ちるようになるのです。だからこの4人がファッション史攻略のツボなのです。
例えば、ディオールから見て行きましょうか。

この写真、服好きの方なら必ず覚えておいて下さい。
ファッションの歴史の中でも、最も有名な写真です。
クリスチャン・ディオールの
「ニュールック」という服の写真です。
発表当時爆発的な人気を呼んだデザインです。

発表されたのは1947年。
「戦争中、女性達は耐乏生活をしいられていた。
戦後発表されたこの大きなスカートを持ったドレスは、
平和で、ファッションを楽しめる時代が来たというメッセージ性から好評を博し」
うんぬんというのが、よくある説明です。
実際問題、戦争中はこんなスカートは履けなかったわけで、
間違った説明ではないと思いますが、
いままで説明してきたファッションの歴史を理解されている方々には、
別の視点があるでしょう。

そう、気になるのは帽子です。
どう見てもベトナムの帽子ですね。

ベトナムというとベトナム戦争、アメリカの勢力範囲だった、とお思いかもしれませんが、
ベトナムは昔、フランスの植民地だったのです。
第二次世界大戦前は、
仏領インドシナ、略して仏印と言われていました。
そこに攻め込んだのが旧日本軍です。
結局日本軍は負けて、再びフランスが取って代わってベトナムの支配者になった、
だいたいそのころに発表されたのが、この「ニュールック」です。

つまりこれは、ポールポワレの系譜を継ぐ、
コスプレ帝国主義でして、
これを見たフランス人達は、
「ベトナムの支配権を取り戻したぞ、再び昔のような世界帝国をつくってやろう」
という感慨で熱狂した、はずです。
実際にはこの時点から既にベトナムにおける共産主義勢力、
つまり中国の勢力が非常に強くなっていて、
結局はフランスは植民地を失ってしまうのですが、
ともかくもこのニュールックは、
フランスが世界帝国として強大であったときの、夢の名残のような、
そんな服なのです。
くどいようですが、だからディオールはだめだとか、そういうことは思っていません。
ディオールは上品で趣味の良い服をデザインする才能のあった人ですが、
系譜としてはポワレにつらなる人物である、ただそれだけのことを表現しただけです。

この人自身は裁縫もパターン(型紙)も出来ません。
もともと美術志向で、生活のためにドレスのデザインラフを描いていたのが、
服飾とのかかわりあいの始まりです。

しかし仕上がったものを見ると、
「デザイナーとパタンナーと縫い子が1週間同じ部屋に缶詰になって、ドレスを1着作ったのではないか?」と思われるほど、
それほどしっかり作りこんでいます。

バレンシアガやヴィオネのように、 作る前のイメージを、型紙だけで一発で完璧に作り上げている、という雰囲気ではありませんが、
細部にいたるまで丁寧に、執念をもって作りこんでおり、当時のフランスの服飾業界の人材の豊富さを伺わせるに十分な内容です

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短期攻略ファッション史・8・服の建築家2

ヴィオネさんに引き続き、
バレンシアガさんです。

バレンシアガさんも、服の建築家と呼ばれています。
歴史上の優れたパタンナー(型紙を作る人)を挙げるとすると、
まず間違いなくヴィオネとバレンシアガのうちどちらかが一位、
どちらかが二位になる、そういう人です。

この人を最も端的に表現しているのは、
ココ・シャネルの賛辞、「バレンシアガだけが本当のクチュリエだ」
という言葉です。

「彼だけが、デザインをし、型紙を作り、縫い上げるという、
全ての工程を一人で出来る。
彼だけが本当のクチュリエだ」

実際シャネルさんは、縫いは名人だったようで、
デザインももちろん素晴らしいのですが、
前述のように型紙能力が不足していました。

そういう分類では、ヴィオネも全て一人で出来るひとだったのですが、なにせシャネルの目の上のたんこぶ的存在だったので、別に賛辞は送っていません。
ヴィオネはシャネルよりだいぶ年上ですし、シャネルのことを「あの帽子屋」と馬鹿にしていたようなので、シャネルとしても誉めるわけにはゆかない。

これまでヴィオネの説明のために、
西洋人の服飾観というか身体観を色々説明してきました。
バレンシアガも歴史に残る人物だけに、
服飾に画期的な貢献をしました。

それは、「そもそも、服をぴっちりつくらなきゃいいのだ」ということです。画像ご覧下さい。

生地が身体から離れています。なんとなく中の体のラインを想像はさせますが、ぴっちりとは作られていません。
これによって、やせた人でも、太った人でも、あるいは姿勢がわるくなったおばあさんでも、 体型を気にせず服を着ることが出来ます。

バレンシアガの服のデザイン、好き嫌いはあるかと思いますが、
それでもデザイン、生地選択、型紙などの総合的な意味合いで、
服飾の歴史の中で、バレンシアガだけが唯一の、そして残念ながら最初で最後の、
本物の芸術家であったと言えます。

全てが一貫しており、自分自身でない要素がなにひとつ無い。
まさに「別格」ではあります。

バレンシアガの魅力を紹介するページではありませんので、
別のページをご紹介しておきます。
私はこのページの作者と面識ありませんが。

http://www10.plala.or.jp/dorimi/Blenc/baren.html

文中「カッティング」とか「裁断」とか書かれている部分が、
バレンシアガのパターン(型紙)能力を表現していますので、そのつもりでお読みください。

そんなバレンシアガ自身の作品の評価は別にして、
西洋の服飾の歴史の中での彼の意義をここで要約しますと、

1)元来西洋人は、からだにぴっちりとした服、曲線の強調が好きであった
2)それはコルセットのような、体を強く拘束するしくみが必要だった
3)身体的にあまりにも不自然な努力だったので、拘束なしの服を作り始めた(ポワレ、ヴィオネ)
4)拘束なしで出来るだけ曲線を表現できるように、服の作り方が変わっていった(ヴィオネ)
5)それでもそれらの服は、肉体をありのままに表現するので、体型の優れた人しか楽しめなかった
6)体から離れた服を作ることによって、体型が万全でなくとも美しくみえる服が開発された(バレンシアガ)
となります。

これらの開発の歴史はそもそも、西洋人が肌を見せたくなく、かつ体の曲線を表現したい人種だから生まれてきたことであって、東洋人の私から見れば、かなり無駄な試行錯誤です。しかし西洋人というものは、頭が固いのです。逆に言えば日本人の頭が柔らかすぎる。

昨日まで「尊皇攘夷」と叫んでいた人間が、今日は「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」 と言い出す。
昨日まで「鬼畜米英、大日本帝国万歳」と言っていた人間が、今日は「軍国主義反対、民主主義万歳」と言う。
一夜にして価値観をころりと180度転換して、なんとも思わないのが我々日本人です。

西洋人は徹底的に自分の考えにこだわって、なんでもかんでも哲学化してしまう。哲学化した以上、その考えは簡単には変更不能になってしまう。偉いといえばえらいのですが、どんくさいと言えなくもないですね。

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短期攻略・ファッション史・7・服の建築家1

というわけで、ヴィオネさんです。

ファッションというより、法律あるは建築系のキャラクターですが、
実際彼女は「服の建築家」と呼ばれています。
彼女の優れている点は主に技術的なことなので、
一般の方が見ても特に面白くはないと思いますが、

一言で言えば、
「からだにぴっちりした服を、出来るだけ縫い目が少なく作る努力」
をした人です。

縫い目が少ないほど、ドレスは柔らかくなりますから。
「女性が笑う時、ドレスも笑わなければならない」
という名言は彼女が残したものです。

最も特筆すべきはその計算能力でして、
ドレスが最終的にどのようなフォルムになるのか、
そのために設計図をどうすればよいのかを、
彼女が完全に熟知していることが、服屋稼業をしている人間にとっては、よくわかるのです。
デザインの好き嫌いは別にして、能力値としては恐ろしいほどです。

思い出すのは昔、お客様とお話していたとき、

彼女は建築関係のお仕事をされていて、
建築デザインではなく、強度計算のほうなのですが、
「計算ばっかりやっていると、
建物を見るだけでその建築家の計算能力がだいたいわかるようになる。
有名な建築家でも、工学の計算が苦手な人は結構いる。

だれだれさん(現在日本の代表的建築家の一人)は、強度計算の部分は本人が出来ずに外注しているはずだ。
だれだれさんは(過去の日本の代表的な建築家の一人)、本人が計算していたかどうかは別として、相当できる人だ、
だれだれ(歴史上の大建築家)は、計算したという話は聞いたことがないけど、かなり出来るはず、
だれだれ(こちらも歴史上の大建築家)は苦手そう」と言われていて、なるほどどの業界でもそういう話はあるんだなあと思いました。

ヴィオネさんの少し後輩のシャネルさんは、大変デザインセンスが良く、革新的な考えかたを次々に生み出せる天才でしたが、
服製作の計算能力という点では、現在の水準からは問題外の低レベルです。

今のシャネル、ラガーフェルトのシャネルはもちろん現代のアトリエですのできっちりつくっているのですが、
シャネル自身が作ったものはその場しのぎでしか作れていないのが、わりとよくわかる服です。

ただ言っておきますが、
計算能力が低くても建築家の価値が下がらないように、
計算能力が低くても、シャネルのデザイナーとしての価値は下がりません。

 

そしてシャネルは映画になり、
ヴィオネのほうは、服飾学校で今も研究対象になっている
というわけです

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短期攻略ファッション史・6・西洋人の服飾観

久々の更新になりました。
忙しくて更新できなかったのもありますが、
以下の画像を掲載するかどうか悩んでいました。
実はまだ悩んでいます。ドレスショップにはあまりにもふさわしくない画像なのです。

ですのでその前に歴史的な背景を説明いたしますと、
だいたい南方農耕民族の服はわりとからだにゆったりした構造で、
北方騎馬遊牧民族の服はからだにぴっちりした服です。
チャイナドレスは体にぴっちりしていますが、
これは清朝の支配者階級、当時満州に居住していた、女真族という騎馬民族の服がチャイナドレスと呼ばれている、というだけの話で、
漢民族の伝統服は、基本だらりとしています。

西洋人もギリシャ、ローマまでは農耕系のゆったりした服でしたが、
ゲルマン民族が大挙襲来してから、基本ぴっちり系の服になりました。

さてそれで、ぴっちり系の服の民族は、「肌を人前にさらしてはいけない」という倫理道徳がなぜか成立するのです。
逆にゆったり系民族は、わりとそこらへんルーズです。今の私たちの感覚では、西洋人のほうが露出度が高いのですが、
幕末日本に来た西洋人の日記など読むと、当時は違ったようです。

「~私たちが街中を通り過ぎると、異人が来たといって日本人が騒ぎ出し、
銭湯に入っていたうら若き女性が、裸のまま道端に飛び出してきて、
口をぽかんと開けたまま、珍しそうに私たちを眺めていた」

とかなんとか書いた日記が残っています。

実際、地方出身50代の私の子供時代には、夏場になると上半身裸のお婆さんや、
田んぼにお尻を突き出しているお婆さんが(つまり、少しでも肥料にしようということです)
ごくごく普通に存在していたのでございます。

と、ここまで書いて、問題の画像です。

西洋人の服飾観はつまり、こういうものです。
なんと馬鹿げたと、女性の皆様はお笑いになると思いますが、とにかくこれが連中の発想の基本にある以上、どうしようもありません。

絶対に素肌は見せない、それでいて可能な限りにセクシーに、その2点が至上命題にして最優先課題なのであるから、少々コミカルになるのは、まあ大目に見ようじゃないか、という感じですね。

こんな格好してまで女性の目を引きたいならば、フンドシでもすればよいのに、と思うあなたはつまり、肌の露出には寛容で、セクシーさはさほど要求しない農耕民族の末裔というわけです。

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短期攻略ファッション史・5・洋服のパターンの重要性

ヴィオネが三番目になりましたが、
この話題で触れる4人の中では、一番古い人物です。
生没年を記入しますと、

ヴィオネ:1876~1975
ポワレ:1879~1944
シャネル:1883~1971
バレンシアガ:1895~1972

となります。一番早く生まれて、一番遅く亡くなっています。享年99!。
一般に、ポールポワレが女性をコルセットから開放したと言われていますが、
ヴィオネによれば、彼女が開放したのが早いらしくて、そこらへんの事情は混沌としているのですが、だいたいそんなふうなライバル関係です。

それでこの人は、パタンナーとしては、今日でも過去最高と言われる存在です。

洋服が他の服と大きく異なる点は、
パターン(型紙)作りの重要性が高いということです。
和服なんかは、だいたい決まりきった大きさで作りますね。
丈が長すぎたら、着るときに折り込んでしまう。だからパターン(型紙)の重要性が低い、
そのかわり生地を作るのが大変で、良い生地でないと着物にならない。
縫いも非常に繊細で、場所によっての縫い方の変化は繊細を極めますが、
それでもパターン的な苦労は(やったことありませんが)おそらくほとんど無い。

料理で考えるとわかりやすくて、日本料理は鮮度の高い素材を、
簡単な調理方法、例えば刺身ならば切るだけ、
もっとも名人になると高度な包丁捌きをするそうですが、
それでも悪い魚だと、名人でもどうしようも無いわけでして、
素材重視というか、素材に依存しきった料理体系です。

西洋の料理はぐつぐつ煮込んで、ソースを作って、
よく言えば知的で立体的ですが、悪く言えばあまり食材は良くなさそうだなあと、そんな感じがあります。

同じように、洋服はその知的で立体的な部分が、
大変重視されるのですが、
それはほとんど呪いに近いくらいでして、
1)着る人の体に、サイズがぴったり合っていなくてはならない。
2)人間の体の曲線を、演出しなければならない。
という二つの条件を、なにがなんでも満たさなければならないのです。
まずはこの写真ご覧下さい。

この絵に描かれているおじさんはルイ14世というひとなのですが、
実は、自分の脚線美に自信を持っており、
それを強調するために、わざわざタイツを穿き、わざわざ服の裾を跳ね上げているのです。
嫌な自信ですね。
足のポジションが、なんとなくレースクイーンのそれに似ているのも腹立たしいです。

しかしともかくもこれが、洋服の原理と言うべきものです。
こちらの写真と比べてください。

どちらが美しいかは別として、どちらがセクシーかと聞かれれば、
(むかつきますけど)前者と答えざるをえないでしょう。

大人しく穀物を食んで過ごしていた我々と違って、むこうは肉食民族ですから、
むきむきの肉体をどこまでも誇示して行く、そういう路線なのです。

しかしここで疑問に感じるのは、「だったらぴったりした服を作るよりも、
もっと積極的に肌を露出したほうがセクシーではないのか?」
ということなのですが、それについての話がまたもや少々面倒なので次回にします

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