コラム「マリー・アントワネットの宝石」後編

「リラックスしたスタイルで民衆に接する」と書きましたが、

実は彼女はプチ・トリアノン宮でそういうことをやり始めていました。
リラックスした服装を着ていますが、これが後年のエンパイアドレスの先駆になっています。

後年の「レカミエ夫人」のようなエンパイアラインは、普通に考えればイスラム風衣装でして、


イスラム世界と西洋世界の架け橋を長年やってきたハプスブルグ家の娘、マリー・アントワネットが、イスラム風衣装を始めるのは、理にかなっています。これは後年ポワレやシャネルがやったことでして、本当の先駆者はアントワネットなのですね。

短期攻略ファッション史・3・ポワレ~コスプレ帝国主義者

これをもっと大々的にできれば、彼女は新しい時代のリーダーになれていたのかもしれません。でも実行力が決定的に不足していました。客とも会わず引きこもっていました。それでは新しいスタイルを確立しても、意味がありません。

ベルサイユの衣装、スタイルをまるごと変えるような大変革をし、貴族にもそれを要請していたらどうだったでしょう。もし優秀なブレーンでもついていれば成功して王家は存続、フランスは今頃世界でも段違いの文化大国だったでしょう。

ほんの20年前にはまだフランスは世界の文化の中心でした。
今でも文化の香りは馥郁たるものがありますが、でも昔に比べれば地位が落ちました。王家の消滅から徐々に。