ピンクの前に染めていたのは、なんとも言いようもない、
特徴のない薄い色でした。
ドレス名は「かいまみ」
なにかを垣間見るような、
ようするに実体のあまりないドレスになりました。
ドレスを着られるお客様とお話したとき、
「19歳の時に、初めて長谷川等伯の松林図屏風を見て、消え行く松の木の姿に、水墨画のイメージが変わった」といわれていました。
東京国立博物館の、「松林図屏風」。
日本の「国宝」のうち最高のものを挙げろといわれれば、たいていの人がこの屏風か、法隆寺の「百済観音」を挙げます。いわば、国宝中の国宝です。
両者に共通しているのは、「実体感のなさ」、自己主張が少なく、消え入るようにこの世に存在していることです。
ドレスは元来、自己主張的なものです。激しく暴力的な西洋社会で、王侯貴族たちがマッチョな体のラインを顕示するように、また自身の財力を誇示するように作らせた、いわば一種の支配システムです(西洋の服は男性のものもその傾向があります)。
でも、われわれ日本人のエゴは彼らほどの強靭さがない。その理由の詮索はおいておきまして、ともかくドレスと日本人は、少し距離があるのですね。ドレスと西洋人よりも、少し長めの距離が。
だから、「日本女性ももっと強いエゴを持つべきだ」という道もありますが、かいまみるようなドレスを作る道もあります。